よくかんでたべること

そのままのみこまずに、ね。

年を取ってからの記憶のアップデートは難しいの?

去年の夏、実家に帰った時のことだった。

実家でも作業に追われていて、夜には煮え煮えの自分が出来上がってしまった。クールダウンするために散歩に出ようとしたのだが、何を思ったのか父親を誘ってしまった。すると、快く応じてくれた。父は夜はテレビを見ながら晩酌をし、電話が鳴って出ないぐらいどっかり座っているタイプなので、すんなり来てくれたので心から驚いた。父と散歩なんて何十年ぶりだろう?今思うと、私のただ事じゃない様子を心配してくれたのかもしれない。

父の職場の横を通りがかると、通用口から一人の男性が出てきた。私ぐらいの年齢に見えた。そしてうちの父の姿を見つけるとにこやかに駆けつけ、誠実に挨拶をしてくれた。その丁寧さに応えようと、私も精一杯の気持ちをこめて横で挨拶をした。父が残業を労うと物腰柔らかくお礼を述べて帰っていかれた。

あまりに感じの良い人だったので父にそう言うと、父は目を丸くして私にこう返した。「お前、あれ、Mちゃんだぞ?」

脳内の検索エンジンにMちゃんというクエリを与えると、少し間があいてから記憶の深いところからMちゃんの画像が返ってきた。

えええええ!!!あのかわいかったMちゃん!?!?

Mちゃんと言えば、私より10歳ぐらいは下だったはず。いがぐり頭で人懐っこくてものすごくかわいい男の子だった。それがあんなに感じの良い男性になったのか・・・。私も年をとってるから当然と言っちゃ当然なのだけど、それにしてもアップデートが抜け落ちすぎているせいで、理解が追いつかず脳が悲鳴を上げているようだった。

半年経過した現在、急にそのことを思い出したのは、別件で現実を受け入れられずにもがいていたことがきっかけだった。
なぜ昔のことに固執するのか=>加齢が原因か=>なぜ年寄りは子供の時の印象でしか覚えててもらえないのか=>Mちゃんの件、と芋づる式にたどり着いた。

夏のMちゃんの件は、実に加齢っぽい実例だった。祖母に何時まで経っても小さい頃の話ばかり聞かされるのが嫌いだったのに、まさしく同じ行動を自分が取っていたのだった。がっくし。でも、なんでアップデートがしんどくなるんだろう?
別に認めたくないって訳ではないが、確かにかわいかったMちゃんのままに記憶をとどめるほうがラクだった。記憶のアップデートって、コストがかかることなのだろうか。

昔の記憶は圧縮されて脳の片隅に配置されているとすると、その一部を敢えて取り出し更新し再配置するのは確かにコストがかかると思う。ならば、差分をとって別場所に保存するしかない。が、その差分を配置するには昔と違って脳のリソースが限られている。配置したところでしばらく使わなかったらガーベージコレクションか。うーん、すでにMちゃんの現在の顔忘れちゃってるし・・・。

ということで、年を取ってからの記憶のアップデートはコストがかかるから、こまめなアップデートが必要なのだな、という結論に達した。先ほど話題に出た別件は何も解決していないけど、とりあえずは、親しい人とはきちんと連絡を取り、そして祖母に会いに行こうと思ったのだった。